生きる「意味と意義」

どうも、谷口佳奈子です。

みなさんは、生きること死ぬことについてどんな考えをお持ちですか?私は単なる出来事として捉えている部分が大きいんです。

2年ほど前、こんな記事を書いています。

最近、半年間の仕事を辞める直前、すごく疲れていました。心も体も。そういう時って、私の持っている「生きてることに意味なんて無いのに」という価値観が少しマイナスに傾いてしまいます。

ニュートラルに「意味なんてないしね」と捉えているいつもの自分から変化して「意味なんて無いのに、今私はこうして何をしてるんだろうか」とネガティブな思考が湧いてきます。どうせ死んでいくだけなのに、こんなに毎日頑張らなきゃいけないんだろうか、ってすべてを放り出したくなるんです。

放棄、したくなる。

メンタルが落ち気味だから自分を責めてしまうし、夫の言葉も素直に受け取れなかったりもする。言ってみれば「投げ遣り」になるんです。(だから私は精神衛生をしっかり管理しなきゃダメなのです!笑)

とある夜、そんな自分のことを夫に話していました。(私がこんな人間であることは彼も知っているので大丈夫)

「なんか、もう全部いやーってなるときがあるんだよね。破壊衝動というか。どうせいつかは幕を閉じるのにさ、その日までどうして続くんだろうって」

「でも自殺はしないやん?」

「うん、死のうとはならないけど」

(実はこのとき、拗ね腐っていた私は「した方がいいってこと?」と馬鹿な一言も放っています。「そんなわけないやん」と返事されるってわかってて言う自分、最悪。苦笑)

「生きること自体に意味がないのもよくわかるし、すべてに意味なんてないよ。だからその中で自分らしく生きるしかないんじゃないかな」

確かそんな話をしていたと思います。

いつもそのループなんですけどね^^私が生きることが私自身の喜びと結びついていない感覚は拭えないままでした。(夫もこんなこと考えている嫁、めんどくさいだろうなあ。笑)

でもね、あるとき、ほろ酔いで布団に入ったときだったかな。ふと【意義】という言葉が浮かんできたんです。意味ではなく、意義。

真っ暗な寝室でスマホを開き、その言葉の違いを調べてみました。

意味:言葉が示す内容。また、言葉がある物事を示すこと。
意義:物事が他との関連において固有にもつ価値や重要性。

コトバンク

ここで私の光となったのが“他との関連において”という箇所。

「生きる意義を見つければいいんだ」と思えたんです。私が誰かと【関わりを持つ】ことで、私の生きる「意義」となるんだ。誰かのために生きているということも私の生きる目的になり得るんだと、幕引きまで存在しておく理由が生まれました。

私は多分、自分のためだけに喜ぶということがあまり無いのかもしれません。多少はあっても、それが生きる喜びとか理由とか、ましてや使命になんてなり得ないんだと思います。

だけど、誰かが喜んでいるからとか、夫が幸せでいられるならとか、もちろん誰かが悲しまないように、私という存在をここに置くことは自分にとっても合点がいきます。

“人のために”という立派な思想ではなく(ごめん)、誰かの喜びを拝借して私のエネルギーに変えさせてもらうという感覚です。

だから、生きることに意味はなくとも意義はある、が今の私の指針です。

そうすることで私は楽に人生を楽しめるのかなと思っています。だったら、私がこれまでやってきている「お客様との対話」というものが私自身の心をも軽くしてくれるツールになるんだなと、点と点が線になった感覚でした。

もし、私みたいに「生きるって何なんだろう?」と靄がかかってしまったときは、ぜひその話を聞かせてくださいな。もしかしたら私と同じように「意義」を見つけることで霧が晴れるかもしれませんからね^^

さ、今日も1日を楽しく過ごしましょねー!ばーい!

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