おはようございます。昨日、インスタにこんな投稿をしました。私たち夫婦は美術館巡りも趣味でして、面白そうな展示を選んで(夫がね)、森美術館なんかにも足を運んでいます。ちょっとタグを読んで欲しいんですけど笑、森美術館へ行くと喧嘩したことが思い出されます。
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喧嘩というか、私のキャパがオーバーしたって感じでしょうか。夫の住む千葉へ越してきて、かつては友達だった夫との共同生活が始まり、お互いの生活ペースを擦り合わせる毎日。特に夫は長年のルーティン生活を築き上げていたので(これも今では変化してるけど)、私は“彼のタイムスケジュール”の中で生きている人間という感覚がどんどん強まっていきました。
しかも当初は「生活させてもらっている」という罪悪感が湧きやすく、私は勝手に【従うスタンス】を自分に課してたんですね。
森美術館での出来事は、入口で日傘を預けて、出口では日傘を取り忘れたことが発端です。そのまま車に乗り込み「あ、忘れた」と氣づいたんです。お氣に入りの緑の日傘でした。でも取りに戻ると、まず渋滞している道を戻らなきゃいけない、そして駐車場の列に並ばなきゃいけない、しかも駐車料金が再びかかる。当時は都内の駐車場事情もわからなかったので、その日美術館に入るまでにも時間かかってしまってたんですよね。
あれを繰り返すのか、と悟った瞬間、夫はイライラし始めました。いまでこそ丸くなった夫ですが、一緒に住み始めた頃は「え、人ってこんなにイライラするの?」と心臓がバクバクするくらい、特に運転中はある意味で恐怖でした。イライラする男性と父親をリンクさせてしまったのかもしれません。父がイライラすることは子どもの私にとって恐怖であり、母が嫌がる姿も悲しみでしかありませんでしたから。
今ではそれが脳からくる特性(一部)であることもわかりますが、やっぱり嫌ですよね。笑
そのイライラに耐えられなくなって「もう日傘いい」と美術館には戻りませんでした。と同時に涙がこぼれて。文字通りキャパオーバーです。でも日傘とイライラに耐える自分とを天秤にかけたら、日傘はまた買えばいいって、一刻も早くその状況から脱したかったんです。
その頃は車で出かけることがちょっと憂鬱になったりもしました。苦笑 ほかのことでキャパオーバーしたものもあります。でも、そのどれに対しても【自分の意見】は伝えました。「こういうふうだから、こんな氣持ちになる」と説明しました。それで相手が変わるかどうかは別です。
【伝える勇気】と【変わらない諦め】は共存させておくべきです。
そのどちらかが欠けても、「なんでわかってくれないの」に繋がります。人を変えることはできません。結果として“相手に変化が訪れる”ことはありますが。期待しない、のが大事です。
私は諦めました。彼の思考回路は変えられませんから、夫の特性をうまく転がせばいいや、と思うようになりました。(転がすって。笑)特性がハッキリしているということは、予測がつくということでもあります。「イライラしないように仕向ければいいんだな、はは~ん」とすべてがスムーズに流れるような行動パターンにしました。ま、大したことじゃないけど。笑
対向車とか、私の範疇をこえているものはどうしようもないけど、私ができることはやればいいしと思って。そして【自分で選んでやっている】という意識も強めました。従っているのとチョイスしているのとでは、私自身の余裕が雲泥の差です。自己責任の方が楽。爆笑
余裕って大事なんだよ!周りに伝染するからね。イライラには効果てきめんです。私が余裕を持っていれば、そこに流れる空氣が穏やかになります。これって、子育てママさんも同じだと思うなー。特に子供って敏感に感じ取るでしょ?
ちょっと話が逸れましたけど、もしパートナーに対して「こういうところ嫌なんだよなぁ」ってことがあるなら、その“嫌”を伝えることと、伝えた後の変化は諦めておく、という2つをオススメします。勇氣と諦め、ぜひ意識してみてください♪レッツ実験!