勝手に責められたように感じる。

毎日、コロナコロナ、マスクマスクって、もう飽き飽きですね。TVに出てるコメンテーターって毎日ネガティブな話して、よく氣持ちがグッタリしないなぁって、ある意味尊敬です。タフだなぁ。

責める風潮

それにしても、TVでは、まぁこんなにも“人を責める”話ばかりですよね。責めて、吊るし上げて、最終的に“処分”の文字。日本は責める大国なんだろうか。トイレットペーパーの件で薬局の店長さんが、お客さまからクレームを受けて「こんなに悲しい想いをしたのは、この商売をして初めてです」と言っていた。それを聞いて私も悲しい。

売っても売らなくても文句言われるんだものね。八つ当たりとしか言いようがない。何をそんなに怒っているんだろうか。不思議で仕方がない。そういう人たちがトイレットペーパー抱えて家でホクホクしてる姿を想像すると、滑稽に思える。買い占めることを批判はしないけど、八つ当たりはやめてあげてほしい。買えたことへの感謝はないのかしら。

責める人は責められることを恐れる

直接文句を言うかどうかは別として、いつも心の中で他人を批判し責め立てている人は、自分自身も“同じように”責められるのを恐れている。いつもどこかで「粗さがしをされはしないか?」と恐れている。近しい友人などのひと言にも「今のは私を責めているのでは?」と勝手に責められたように感じることが多い。

「すいません」が口癖の人は、心の中に、責められる感覚や罪悪感が占める割合が多い。怒られていないのに謝ったりする。「ありがとう」の代わりに「すいません」を使ったりもする。私もそうだった。洋服を試着していて、別の色を持ってきてもらったときなど、つい「すいません」と言ったことがあって、それを友人が「そこは、ありがとうやろ」と正してくれた。そのくらい、自己卑下が日常的になっていた。

責められているという妄想

この“責められ妄想”は、結構根が深くて、私なんかもたまに顔を出す。責められているというのは、怒られていると感じることにも似ている。私は夫に対して発動することがある。彼の言ったひと言、例えば「~したの?」というフレーズが、私の脳内では「“なんで”~したの?」と変換される。すると「怒らせたか!?」と一瞬ピリっと恐怖が走る。

具体例で言うと、私が冷蔵庫の食材を食べて夫に知らせていなかったとき、彼はそれがあると見込んで夕飯の買い物をしているのに、家に帰るとない、みたいなことになる。「あれ?〇〇食べた?」という単なる質問が、妄想フィルターを通ると「あれ?なんで〇〇食べたん?ないと困るやん。連絡してこいよ」くらいまで膨らむ。

すると、夫は私を責めてもいないのに「ごめん!」と謝りを入れることになる。万が一、それで彼の機嫌を損なうのが怖いのだ。そして、自分を否定されることも恐怖だから。そんなことしないってわかってるし、自由にしてと言ってもらっているのに、「あぁ、私がひとつ食べてしまったことで、彼の計画を狂わせてしまった」とさえ思う。←責められ妄想族

責められたように感じた時は

事実だけを見ること。責められた氣がするだけで、実際には責められてなどいない。相手に確かめてもいい。その代わり「怒ってないよ」という言葉は100%信じること。これを疑うなら確かめる意味がない。責められるという概念を消していくために【鈍感力】を磨こう。あらゆる人は敵だという鋭い視線はやめよう。

そして、まずは【自分が自分を許そう】。責められたと感じるときって、自分がそのことについて自分を責めているのだよ。だから謝っても謝っても、まだ「ごめんなさい」って謝り足りない。相手は何も氣にしていなくても、自分の罪悪感が謝らせる。相手からしたら迷惑ってことの方が多く、それを感じ取ったとき、さらに謝る。笑

安心感を増やそう

色んな事件やいざこざを目にすることが多いけど、それは切り取られた一部だけであって、目を向けるべきはもっと愛ある出来事。本来はどんな周りの人も、自分を取り巻く世界は優しい。罪悪感を消そうとすると余計に増える。なぜなら、意識はフォーカスしたところから大きくなっていくから。

マザーテレサが言った「反戦集会には行かない。平和集会なら行く」というのもこれと同じ。戦争をなくそうという意識ではなく、平和を広げようという意識。不安や罪悪感を減らそうとせず、安心感を増やしていけば、おのずと不安は減っていく。安心感を増やすには、体を安心した状態にする、というところから始めるのが効果的です。

責められたように感じることが多い人は、ぜひ【安心感】増やしてくださいね!

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