どうも、谷口佳奈子です。私は大阪で大学に4年通ってたんですけど、授業中に教授が「紙オムツはあかん」と言い始めたんです。なんでそんな話になったかは忘れちゃったんだけど。(その教授には遅くして生まれた娘さんがいらっしゃって、おじいさんと間違えられるのが苦痛らしい、とは生徒の中での噂話)
「しっかり吸収してお尻がサラサラで快適なんてあかん。不快やからこそ感情が育つんや。」みたいな話だったと思います。今となってはそれについて調べたことも無ければ、子供もいないので試すこともなく。ただそのとき妙に納得したのを覚えています。
ふむ、なるほど。人間の感情には“不快”が必要不可欠なのか。
確かに、世の中すべて思い通りで快適だとすれば、もはや何もする必要はないし、そもそも“快適”とはそうではない状態と比べて良しと判断してるということだもんな。
不便が便利を育てるように、不快から快が得られるのかもしれない。
だからといって、快や喜びを得るために不快や悲しみ、怒り、寂しさ、不安などを持つ必要はない。けれど、ネガティブと呼ばれる人たちはこれを無意識でやってのける。
あえて自分を下げることで容易に前進(+)を手に入れることができるからだ。プラス方向の動きを人は成長だと認識している。現時点から前へ進むことはかなりエネルギーを要するけれど少し下がればすでに道ができているため省エネで進める。
でもこれじゃ面白くない。
新しい快はまだまだたくさん溢れている。現在の不快を原動力にしてそれらを手にすることができる。喜びに転じることができる。
自己啓発を進めると不安になる自分を悪とする傾向がある。その不快な状態にいる自分は快に転じる原石だ。不快があって快がある。なにひとつ思い悩むことはない。なんならラッキーくらいの話。ご安心あれ。
ちなみに同じ大学に通っていた夫とは大学時代の話で盛り上がることはない笑。学校で話したのは数回程度だし、よくよく聞けば1年くらい学校へ行ってなかったことがあるらしい。逆に私は人より多く授業に出ていたにも関わらず、最近見かけないと言われていた人間である。こら。