幸せの方が実は平凡なのかも。

どうも、谷口佳奈子です。あっという間に12月。いよいよ今年も終わりに近づいていますね!

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このブログは“不幸ではないが幸せとも言いきれない”女性へ向けて書き始めました。それなりに楽しく暮らしているし、なんなら仕事もできる方なんだけどって人や、長女氣質、優等生氣質で他者が喜んでくれることで安心を得るような、無意識に頑張っている人たちは、ふと我に返った瞬間に「なんか違うんだよな」「どうしていつまでも不安がつきまとうんだろ」みたいな違和感を持つんですよね。

かつての私も「不幸ではないけど胸を張って幸せとも言えないな…」という状態で生きていて、そういう生き方からどう脱却するか、幸せになるにはどうするか、そんなことばっかり考えていましたね。

あるとき「幸せとは“なる”ものではなくて“感じる”ものだ」という考えに至ったのですが、日々の幸せ探しがなんだか嘘くさいなと思ってしまうこともあったんです。何にでも感謝するってなんだか仰々しいな、みたいに。ははは

日常的に「ありがたいな」と思うことは多いのですが、それをわざわざ幸せだというほどでもないというか。(もちろんそれでいいんですけどね)

でも、昨日夫と車に乗っていて、運転する彼を見ていたら、助手席に乗っている自分も含めて客観的な思考になっていました。「今この瞬間、この人と車に乗って楽しく過ごせているということは、なんて貴重な出来事なんだろう」って。ここまできた偶然を遡るとやたら奇跡的に思えてきて。そのときに「ああ、これが幸せを感じるということなんだ」と視界がクリアになりました。

だって、自分自身が生まれてきたこと自体奇跡的なわけですよ。その奇跡的な存在同士が出逢っているという奇跡、すごくないですか?(確率、数字の世界での奇跡を言っています)みなさんにおいてもそうなんです。ま、嫌な人と出会っていることも奇跡的ってことになりますが。苦笑

ある本の中に「経験するということそのものが人生における素晴らしさ」みたいに書かれていました。何かを達成するとか成果を獲得するってことではなく(それももちろん素晴らしいですが)、その経験をしているだけで豊かなことだと。

つまり、日々何かを経験することが幸せのひとつであり、幸せとは何ら特別なことじゃないんだなと思います。日々健康に暮らせていることがすでに幸せだし、変わらぬ毎日を送れていることも幸せ、自分について考える時間を持てているのも幸せってことになりませんか?

「幸せ」の方が平凡なのかもしれません。不幸ってドラマチックだもんね。

人は刺激を求めがちだから、平凡な幸せよりも少し難ありな不幸めいた日常を、心の中では欲しているのかもしれませんね。

人は刺激を求めがちだから、平凡な幸せよりも少し難ありな不幸めいた日常を、心の中では欲しているのかもしれませんね。

「幸せになりたい」と思ったら、平凡な毎日に身を置く想像をしてみるのもいいでしょう。普段「あー幸せ」と感じる出来事を思い浮かべて、些細なそれで埋めていくのも良いんじゃないでしょうか。いずれにせよ、幸せって自分の中から湧き出てくるものだと思います。

必要不可欠なのは【安心感】ではありますが。そこをうまく確保できると平凡な幸せと共存することができるはず。

必要不可欠なのは【安心感】ではありますが。そこをうまく確保できると平凡な幸せと共存することができるはず。

もうトゲトゲした不安は手放しちゃいましょ!ではねー。

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