良いか悪いかなんて自分次第。

おはようございます。昨日はあんなに暑かったのに、今日は肌寒いなんて。寒暖の差が激しいときには決まって思い出すことがあります。大阪に住んでいた頃、エレベーターでたまに一緒になったお爺さん。結構なご高齢で、そのマンションの主じゃなかろうかと思えるほど。「寒暖の差は老人には厳しいんです」と仰ってたなぁ。大型マンションでの出会いはとっても楽しかったです。

さて、今日は、良いとか悪いとかの話。

良い悪いは誰が判断するもの?

自分を変えたいと思っている時、自分のすべてが嫌だったりしますね。自分のここが嫌だ、こんなところが情けない、そうやって様々なNGを自分に出しています。

それに加えて、こうしてはだめだ、ああするべきだ、と行動に関しても良い悪いの基準を持っていますよね。(これがマイルール)

その基準に従う人が多いルールが“常識”と呼ばれていて、そうでないもの(賛同する人が少ないルール)は“非常識”、“マイノリティ”と認識されています。

従っている人の数が多いだけ

常識、非常識、つまり世間的な「良いか悪いか」は人数の違いです。道徳的な~とか言い始めると感情論が混じりますので、そこは省きますね。

ステイホームするかしないかについて、常識非常識の議論が飛び交っていますが、良し悪しは各々によって違うことがよくわかります。本人次第ということ。

けれど、自分の判断がマイノリティなんじゃないか?という不安が大きい人は、世間的な常識の基に生きようとします。多数に所属することで安心を得ている場合もあります。

他の常識を自分に採用している

「~すべき」だという価値感は、家庭環境や日々の暮らしで刷り込まれることがほとんどです。そして、常識的な人間であろうと、そのルールを自分にも採用します。

もはやそれが当たり前になって、「~できていない自分」を最低だと思うようになります。

自粛警察セルフバージョンです。←あ、いいこと言った。笑

「~すべきなのに、そうしていない私、悪!」

これを毎日繰り返しています。オェ。苦笑

たまに他人にも押し付けたり

マイルールの縛りがキツい人は、周りにも強要し始めます。直接言わないにしても、自分のルールから逸れた人に対して嫌悪を抱いたり、怒りを露わにしたり、監視の目を向けたり。

ちょっと待って。良いか悪いかって、誰が決めたんだった?

そう。自分に他ならない。

巻き込むなら、共感し合える人を探そう。そうじゃない人のことは放っておこう。

自分へのジャッジも緩めよう

自分で決めたということは、自分で変えられるということ。

良いか悪いか、その判断を疑ってみよう。「~すべき」は本当なのか?

自分で決めていいんだから。自由自在。どうにだってなる。

「そんなことしたら、ダメな自分のままにならない?」という不安も出てくるかもしれない。

自己を啓発し続けることが、やるべきことか?人として当たり前なのか?そもそも、“ダメな自分”という基準さえ、自分で決めているんじゃないか?っていうか、ダメなのか?

いまある常識というものは、簡単に非常識になり得る。そして、それで未来の常識になることだってある。

安易に、自分の人生を、脳内の小さな常識だけで縛り付けないこと。もちろんこれも、私基準の良し悪しだから、疑うことも大いに結構。

なんだってありなのですよ。

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