ジャッジ、やめなくていいよ。

おはようございます。岡江久美子さん、亡くなっちゃった涙。天までとどけ、好きだったんだよねー。うちもずっと社宅住まいだったから、ベランダで隣の家と繋がってるのが、なんか羨ましかった笑。やっぱり、家から出ないのは、大事な人を守るためでもあるね。うん。

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他人をジャッジしてしまう

この悩みはこじらせ女子の中で大きく膨らんでいます。人をジャッジしてしまう自分をいつも責めています。なのに、またジャッジしてしまう。そんな自分に嫌氣が差しています。日々「はぁ…ジャッジやめたいのに」と頭をグルグルさせています。

わかります。かつての私がそうでした。「自分のことを棚に上げて、人を裁いてばっかり。こんな自分クソだ。」と思っていましたよ。笑 何様のつもりよ、と。

ジャッジをやめたい理由

どの口が言うてんねん、と自分で自分を責めますよね?その人の良いところより先に、粗探しをしてしまう自分にガッカリしますよね?みんなと仲良くできるあの人みたいになりたいのに、ってまた人との比較を持ち出しますよね?

そんな自分を変えたい、もっと人に優しくなりたい、そう思って“ジャッジしない自分”に憧れます。やめたい理由は、ジャッジそのものよりも、ジャッジした後の【罪悪感】が苦しいからです。そして、理想の自分と、ジャッジする今の自分とのギャップに耐えられないんです。

ジャッジの何がいけないの?

そんな人に限って「私そのままで愛されたい」とか言うんです。ジャッジする自分は、そのままの自分には含まれないの?そのまま=素晴らしい私、という設定があるのかな?

そもそも、ジャッジすることの何がいけないのでしょうか?心の中でつぶやいてるだけで、誰かを傷つけてるわけじゃないし。(文句言い始めたら問題だけど。苦笑)

上に書いたように、後から押し寄せる罪悪感が怖いだけで、ジャッジそのものは、湧き出てきた感情として受け入れてもいいのでは?否定するから増長するのですよ。コレ↓

ジャッジには願望が隠れている

誰かをジャッジした時には、その中に自分の願望が隠れていると思ってください。

例えば「あの子ブサイクなのに!」とジャッジしたとします。その言葉の中には「ブサイクなのに○○○○」と続くワードがあるはずなんです。

ブサイクなのに、平氣で自撮りしてる。
ブサイクなのに、オシャレを語ってる。
ブサイクなのに、メイクに詳しい。

こんな感じでしょうか。この後ろにくっついている部分が、願望です。裏を返せば、自分を抑えている部分です。

私は、ブサイクだったら、自撮りしない。
私は、ブサイクだったら、オシャレについて話せない。
私は、ブサイクだったら、メイク頑張っても意味ない。

自分のこともブサイクと思ってるんですねー。そして、そんな自分よりブサイクなあの子が、私もやらないでいることを、簡単にやってのけている。それが腹立たしい、ってことです。

自分もやったらいいんですよ。自撮りもオシャレも。いいなーって思うのが悔しいから、途端にジャッジに走ります。綺麗な人の自撮りの中にも粗を探そうとします。美人だけど性格悪そう、なんて言うのも同じ心理ですよね。

ジャッジはやめなくていい

私の経験上、やめようと思ってやめられるもんじゃないです。笑

やめなくていいです。(大いにジャッジしようって、推奨してはいません笑)

ジャッジする自分も自分なんです。まずはそこを受け入れて、そして受け流す。「ジャッジしちゃったなぁ。ん?何か羨ましいのか?私も自撮りしたいのか?」みたいに、メンタルの分析に使ってください。どうせやめられないなら活用しようぜ。

分析した後は、その願望を叶えてやってください。そうすると、同じ理由でのジャッジはしなくなります。ひとつ消えます。ジャッジはやめなくていいから、ひとつずつ叶えてやってください。

そうして、いつか、ジャッジしなくなってることに氣づきます。焦るべからず。

ではねー!

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