すっかり秋めいてきましたね。我が家ではハイキングの計画を立てていて、外でお湯を沸かしてコーヒーが飲めるグッズを買おうかという話も出たのですが「このテンションもいつまで続くかわかんねぇや」ということで、保温水筒にお湯を持参するスタイルで行こうと思います。笑
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さて、先日ふいに「お子さんは大きいの?」と質問されました。
これけっこうあるあるで、世間では私くらいの年齢だと子持ちという前提で話が進んでいったりします。「お子さんは?」と聞かれることもありますしね。
「うち、子供いないんですよー」と答えると、「だから若いんやね!」と返ってきました。
そう。子なし夫婦って若く見られるんです。(いや、そこそこの年齢いってるのはバレてるけど笑)
若々しいという印象って言う方がわかりやすいかもですね。
確かに、夫とも「子供いない夫婦って若くてハツラツとしてる人多いよね」なんてよく言ってます。
その理由はなんだろうか?と考えてみました。
おそらく、若い=年齢的な若さ、というよりは上に書いたような“若々しさ”のことで、つまりは【生活感の無さ】に繋がっているんじゃないでしょうか。
そんなことかくと「じゃ、子持ちは生活感あふれてるってこと?何なら生活に疲れてるとでも!?」と若干反感を買いそうですが、子育てが生活味を帯びることは当たり前で、ママ界では子持ちなのに生活感なく活き活きとしていたら、それはそれでやっかまれる恐れもあるのかも?と想像しています。(あくまでも想像ね)
子なし夫婦の我々を軸に考えてみると、子供がいないことで自由を得ています。子持ち家族のように時間やお金の制約がありません。子供の将来を考えなくてもいいし、自分たちの暮らしだけを守って楽しく生きていればいい。
大袈裟にいうと自分を犠牲にしていない(割合が多い)という感じでしょうか。
でも。
子持ち(特にママ)がいつも自分を犠牲にしているとは限りません。
ただ、自分よりも優先順位の高い存在が目の前に現れたんじゃないでしょうか?だから、自分を後回しにする習慣がついて、若々しさ(自由)が格納されていっただけのこと。
それもまた幸せのひとつ、かもしれません。
だけどもし、自分でも「なんだか疲れて見えるなぁ。老けて感じるなぁ。楽しそうなママと比べてしまうなぁ。」なんて感じることが増えてきたならば、もともと持っていた自由を取り戻す必要がありますよね。
超絶自由だった若い頃には戻れませんが笑、自分に自由を(束の間でも)与えることは可能です。
そもそも自分はどんな時に自由を感じていたのか、どんなことに喜びを感じていたのか、どんな人間だったのか、それらを再び感じられるようにするにはどうすればいいのか?
そういう感情についてパートナーとの共有は必要だろうか?もっと話をするべきか?
こんな風に、自分に目を向けてみましょう。決して悩むのではなく、前向きな検討です。
出産も子育ても経験のない私が言ってることなので「あんたに何がわかるのよ」という声が上がっても仕方ありませんが、【自分らしく生きる】ことについてはめいっぱい考えて試行錯誤してきてますので、その辺は多少お力になれるかと思います。苦笑
どうせ生きるなら喜んでいたいじゃないですか。
日々生活できることはありがたいことです。でも、生活に溺れて喜びが遠のいてはもったいない。できるだけ潤いある(たまに自由も感じられる)生活を整えることで、若々しいヒトで在りたいものですね。
ではでは!
(ちなみに4年前にこんなこと書いてました。)