昨日夫と晩酌しながら「もし俺が、実はゲイだとカミングアウトしたらどうなるやろか?」という話をしてて(どんな会話、笑)、想像してみたんですけど、「特にこのまま結婚続けられると思うわー」という結論が出ました。
でも、夫が“男性とお付き合いしたい”という願望を持っていたとしたら、彼のために身を引く方がいいのかもしれないなとも思ったり。仮に彼氏ができたら、嫉妬の対象になっちゃうしなーなんて。結婚はそのままでお互いに別で恋愛するって手もあるよな、とか。
やっぱり友達感覚の方が強いのかもしれません。夫を応援したいという氣持ちの方が大きいです。って、妄想ですけど。
さて。
「こうすればよかった」「こうしてあげられなかった」という風に、自分を責めたり、罪悪感を抱えやすい人って【期待に応えようとする】意識が強い傾向があります。そして、期待に応えられなければ価値がないと、自分にガッカリするシーンが多いです。
ガッカリさせたくなくて(ガッカリされるのが怖くて)、喜んでもらえるように必死です。
でも、そもそも“期待されている”のでしょうか?
【勝手に】期待に応えようとして
【勝手に】必死になって
【勝手に】落ち込んでやしませんか?
相手に喜んで欲しいと思うのは素敵なことですが、相手を喜ばせることは義務ではありません。ましてや、相手の喜びをコントロールしたり、その度合いによって自分の価値を量ろうとすることは、相手からすればありがた迷惑とも言えます。←シビアでごめん
そもそも期待などされていないという前提で物事を観てみませんか?その上で自分の動きが相手の喜びになったならラッキー!くらいの感じで受け止めてみてください。
そうすると、過剰な自分責めや罪悪感など生まれませんから。
みんな大人ですから、自分のことは自分でできます。助けてもらうのはありがたいことですが、助けてくれなかったからといって他人のせいにするのはナンセンス。だから、誰もあなたのせいにする権利などないし、すべての問題をあなたが引き受ける必要もないんです。
わざわざ依存のつながりを作らないこと。私がいなきゃダメだもんね♡なんて世界を無意識に創ろうとしないことです。
“勝手に”期待に応えようとしてませんか?
期待に応えようとする人ほど、相手に期待をかけがちです。無言のコントロールは手放しましょう。そして、それに振り回される自分からも卒業しましょうね♪
大丈夫、誰も期待してないから~♪笑
そんな風に、もっと軽やかに自由でいてください。期待されないって楽ですよ~!ははは