「この程度の私」は勘違い。

昔、派遣でOLをしていた頃に、日々会社への愚痴を言いながら働いている人たちがいました。その頃はちょうど自己改革の真っ最中だったので、言葉がいかに現実を創っているかというところを意識していて、私はできるだけネガティブな言葉を使わないようにしていましたが、かくいう私も、独立前は愚痴を肴に呑んでいるようなOLでした。苦笑

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今でも、仕事への不満や会社への愚痴を聞くと「じゃ、辞めればいいのに」とは思いますが、愚痴を言いつつ働くスタイルが、その人の決めた生き方なんだろうなぁと傍観するのみです。辞めるほどの事態ではないのだろうし、転職活動にエネルギーをかけるのも億劫なんでしょう。何か変化を起こすというのは、恐れや疲労が湧くこともよくわかりますし。

でも、ふと思うんです。仕事に限らず、日常生活やパートナーシップにおいても、何か不満を持ちながらそれでも耐えている私、それを当たり前だと信じている私、この程度の私、という自分像は、自らが創り出したものであり、すべて思い違いではないかなと。

誰しも“望む生き方”はできるんだし、それを選択するのは自由なんだけども、そうしないのは「思い違い」しているからじゃないのかな。私にはこの生き方が合っている、と無意識に思い込んでしまってるだけじゃないかな。

だとしたら、「おっと!違う違う!愚痴言って、たまのストレス発散で堪える毎日って、私の生き方じゃないじゃん!あっぶねー!道間違ったまま進むところだった!」って、ハッと氣ずいて軌道修正すればいいんですよね。それができるはずなんです。

日本人は特に、何か苦労をした先に明るい未来が待っているとか、耐え忍ぶことを良しとする傾向を持っているのかもしれませんが、すんなり幸せで楽しい毎日にシフトしたっていいじゃないですか♪楽していいのにー、ですよ。

“パートナーに尽くす私”も、もしかしたら思い違いかもしれませんよ?ふふふ

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