好き、なんて曖昧。

どうも、谷口佳奈子です。先日、夫と夢の話になりました。将来の夢じゃなくて、寝てるときに見る夢ね。夫は日常の延長のような夢を見るらしいんです。お義母さんが亡くなる前は、よくお義母さんの夢を見ていたそう。

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一方私は、夢を見るとしたら悪夢。そうじゃなければぐっすり眠ってる。嫌な夢はだいたい殺されそうになるから逃げているという話。シチュエーションは変わっても、逃げていることは変わらない。結構苦しい。前に妹が、「夢の中にカッコいい俳優さんが出てきた」とうっとりしてたことがあったけど、私もそういうの見たい。笑 夢の中ではいつも命の危機なんて、嫌やわー。苦笑

さて、みなさんは人を好きになったことはありますか?

なんて、いきなりの質問ですが、多かれ少なかれ「あの人なんかいいな」とは感じたことがあるんじゃないでしょうか?片思いとして氣持ちが膨らむこともあれば、お付き合いに発展することもあるでしょう。一旦恋人同士になると、今度は別れるというときに「まだ好きだし」みたいな感情を持ったりもしますよね。嫌いじゃないけど別れた、って経験をした方もいるのでは?

じゃ、“好き”ってなんだろう?

なんかいいな、から始まったものが、いつしか「なんで、私だけが」とか「離れたくない」とか「他の女の人のところには行ってほしくない」みたいな強張った想いを抱くまでになるのが、好きになるってことなんでしょうか??うーん。

とはいえ、実は私にもわからないまま。苦笑 

だって、最愛の夫、とはいっても、これまで他に好きになった人だっているし、現に1回結婚してるわけだし、そのときはその人を最愛だと思ってたわけだし?失恋したって、次に彼氏だってできたし、夫との共通認識は「この人じゃなきゃいけない、なんてことはない」だし。笑

だとしたら、好きなんて曖昧なもので、好きなんて確実ではなくて、好きなんて変動するものなわけですよね。でも、そのコロコロ変わる感情に、人間は振り回されてるってことです。(それが犯罪に繋がることまであるから人って怖いよねー)

好きという言葉に、私はこんな枕詞を付けています。「今の私にとっての」好きな人、です。実際の氣持ちがどうかは置いといて、好きという感情は変わる可能性がある、。。ことを前提にしています。リスクヘッジではなく、本質としてそう捉えています。

だから、“好き”を貫き通さなければならない、という縛りも必要ありません。それだけで、みんなちょっと肩の荷降りるんじゃないかなぁ。「この人を逃したら一生独りかも」なんて心配も要らないはず。世の中には呆れるほどパートナー候補はいますから。「今の私にとっての」ベストな相手を手放すのが惜しいだけです。

って、グダグダの恋愛した私が、何をドライに語っとんねん!と自分でも思いますが。爆笑

いつも思うけど、地球上には一夫多妻の国も一妻多夫の国もあって、結婚して1人の人と添い遂げることを良しとしているのは、日本の“文化”でしかない。でもどの国の人もそれぞれ“好き”を持っていて、1度にたくさんの好きを保有していてもいい。感情そのものも、そこに存在するルールも、やっぱり曖昧なんだよね。

好きって言われたから、相手のこと好きになることだってあるしさ。うちだって、恋愛対象でもなかった夫と私が、結婚ということを考えた時に、好きになり得る相手としてお互いを受け入れた結果、今の暮らしがあるわけで。好きっていうのは「合う」ってことだと思うから、この世の中にたくさんいてもいいのさ。同時に進行させるか順番に一人ずつ対応していくかの違いじゃないかしら。

曖昧なことに悩む、これもまた人間の面白みかもしれませんね。

そのくらい軽く考えてみてはいかがでしょうか?ふふふ

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