こんにちは。近くの桜がちらほら咲き始めています。今年はお花見する人も減るんでしょうね。山で自然の花を愛でるのもアリだね!
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愛されたいと願うけど
「私は彼に愛されているのだろうか?」そんな不安は、多くの女性が抱えています。大事にされていないように感じる、と。実際に相談を受けたこともありますし、パートナーとのコミュニケーションを変えることで改善した、という報告を頂いたこともあります。
パートナーシップや親子関係において「愛されたい」と願う人たちは、当たり前ですが「私は愛されていない」と感じているということ。では、愛されているとはどんな状態を差すのでしょうか?愛されている私は、愛されていない私とどう違うのでしょうか?
具体的にイメージする
この問いかけに、なにか具体的なイメージが湧くのであれば、それを体現していくことが、愛される近道ですよね。でも、ほとんどの人が“愛されている状態”を言語化することって少ないと思うんです。
愛されたいというのは結局、【自分が望む対応をしてほしい】ということではないのかなと。たとえ相手が「愛しているよ」と言っても、自分の納得する言動が見られない場合「私は愛されていないのかも」と振り出しに戻ってしまう。
望んでいることを伝えよう
愛されるのに順番は関係ない。相手から先に態度で示してほしい、自分から求めたら負けだ、こんな発想をしている限り、愛されている自分にはなかなか辿り着かないでしょう。
愛しているかどうかは、感情というよりもコミュニケーションだと思っています。相手との会話や氣持ちのやり取りができているか、というところを「愛」というワードに置き換えて計っているんじゃないかと。
であれば、理想の愛を存在させるために、調整を取るのは何らおかしなことではありません。自分でその関係性を作ってしまえばいい。
どうしてもそれが叶わないのなら
まずは相手の特性をみること。いい意味で諦めがつくならOK。諦められないときは、他に目を向けるという手もある。自分か相手か、人生においてどちらの優先順位が高いかというと、間違いなく自分です。人生を豊かに送るという目的を前提に、相手をチェンジすることは有効。どうしてもその人から愛されたいという執着が手放せないときは、とことんやりつくしてみる。そうするといつか、結論が出ます。
ちなみに、世間一般での「愛されている」ってどんな状態なんだろうって調べてみたら、こんなページがありました。
ふむ。結局のところ【構ってくれるパートナー】であれば満足度が高いのね。夫と照らし泡褪せてみたら、特に当てはまるところは…ない。(本人はやってくれてのかもしれないけど)
それでも、私は愛されてると感じています。いや、愛してるとか愛されているとかじゃなく、愛が根底に存在しているというだけ。その上に2人が暮らしているような感覚です。(ごめん、わかりにくいよね)
あとね、愛されたいなら、愛してください。パートナーだけじゃなく、周りのいろんな人も、いっぱい愛してみてね。損得でもなく、好き嫌いでもなく、愛する。恋愛はそのひとつでしかないから。少し執着から離れて、自分のこと観察してみてねー。ではでは