「子なし」という言葉の背景。

おはようございます。最近、ウォーキング熱が上がって4時台に歩くようになりました笑。涼しいうちに歩けていいですし、夫の出勤前にウォーキングを済ませると私のひとり時間も増えるのが嬉しい♪冬は真っ暗なんだろうなと今から心配してます。

さてさて、私は自己紹介欄に「子なし」「子なし夫婦」というワードを使っていました。2人暮らしという表現でも状況は同じなのに、あえて子なしとしていたのは、子どもがいなくても楽しいよーと伝えたかったからなのか、そういう人生を選択したということを主張したかったのか、自分でもよくわかりません。

ただ、さほど深い意味はないというのが正直なところです。

でも、世間では「子なし」という言葉の背景はそんな単純なものではないということを、今更知りました。

先日、SNS上で「子なし」と検索してみたらほとんどの人が【不妊治療を諦めた末の子なし】という説明書きをしておられたんです。中にはママ・プレママとの繋がりを避けているといった注釈なんかもあり、「子なし」にはどちらかというとネガティブなイメージが含まれているんだなと、なんだか寂しくも感じたかな。

ただ、それを読んで、あえて子なしと言わなくてもいいのかも、と思ったんですよね。うちは結果としての子なし夫婦だとか、そもそも絶対に欲しいという考えでもなかったとか、子どもがいないことの説明を自らする必要もないか、と。(このブログではとりあえずその紹介のまま置いておきますが)

なんとなく寂しく、悲しくなったのは、やっぱり子供が欲しくても授からなかった方の心のささくれを感じたのと、子どもがいることが正義といった風潮がまだ残っているような感じがしたからでしょうか。自分に当てはめて道を逸れているという感覚ではないのですが(私は我が道を行っちゃうから笑)、誰かが苦しむ一般常識的なもの、それに苦しいと感じている人、両方が早く解放されればいいのになという想いです。

先日『ヒキタさん!ご懐妊ですよ』という映画を観たんです。夫49歳、一回り以上年下の妻、2人暮らしを楽しんでいたけど、妻の希望で妊活に邁進するという話です。

自然妊娠を望むところから不妊治療に至るまで、実際に妊娠しても無事に生まれないこととか、数年かかってやっとという、今多くの夫婦が奮闘している出来事が描かれていました。

最終的に、無事安定期に入るというところで話は終わるのですが(ネタバレごめん)、そのときにほんの少しガッカリした自分がいたんですよ。

私が期待していたのは“子供を授からなくても2人で楽しんでいこうとする未来”と、そういう生き方への応援だったから。諦めるということをポジティブに変換できるような。

最後まで見て、やっぱり子どもを授かることが正解って印象になるじゃん、と思ったんですよねー。もちろん私の主観が大いに入ってますが。これを見て授かれなかったご夫婦が悲しくなったりしないのかな、と無意味な心配しちゃったりしてさ。苦笑

「子なし」という言葉が単なる事実として受け止められるような社会だといいなと思うんですよね。「子供は?」という質問にも過敏に反応しない社会でもあったらいいと思うし。とはいえ、世代の違いやジェンダーのこと、そして責める風潮(責められる感覚)など、世の中はどんどん複雑になっちゃってるんだけど。

なかなか理解しがたい考えかもしれませんが、私は現代で子供が授かりにくくなってるのは自然な流れかなと思ってます。種の保存という意味でも経済的にも少子化は問題ですが、滅びゆく種だと捉えれば、進化の過程では自然なことなんじゃないかと。人間という動物が滅びないという確証はないですからね。

そう考えてもやっぱり、“今を楽しむ”ことに尽きますね!

ではではー!

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