こんにちは。早いもので前回のブログから1カ月が経ってしまってました。。。
その間の変化と言えば、やたら低燃費になったり(ゆで卵1つで夕方まで過ごせるくらい)、5月の初めに比べて体脂肪率が4~5%ほど下がったり、健康なんだか不健康なんだか分からない状況です。
さて、今日のタイトルは「想いは重い、言えるは癒える。」です。
変に言葉をいじるのって好きじゃないんですけど(顔晴るとか、お志事とか、お楽しみさまとか…)、想いは重いとはよく言ったものだなと思うんですよね。言えるは癒えるも同じく。
想いってポジティブであろうがネガティブであろうが、抱え込んでると増幅して重くなる氣がするんですよね。ネガティブはもちろんか。
しかもそれを相手にぶつけたり強要したり、共感させようなんて意識が働くと重ーい鉄球を投げるのと同じですよね。ひとりの場合も自分に鉄球当てるか、重すぎて自滅するか、みたいな。苦笑
重くなる前に定期的に自分の想いを見直す必要があると思うんです。植木で言えば(←なぜ?笑)剪定みたいなもんかな。育ちすぎて形が崩れる前に綺麗に整えておくことで、木への負担も減らせるでしょ?重くなりすぎると折れたりするかもしれないじゃない?(予想)
重い想いを軽くするには、客観的に整理するか誰かに話すか、かなと思います。もちろん聞いてくれる人が「それ重いよ」と感じる可能性はありますが。ははは
話すって結構大事だなってこないだ思ったんですよ。本当に他愛もない(どうでもいいような)ことでも、話すと軽くなりますよね。
ふと「なんか人と話したいな」とか思って、実際に話すとスッと詰まりが取れて、滞ってたエネルギーが再び流れ出すような感じしません?
若かりし頃は、彼氏の愚痴やら会社や上司の文句をツマミにランチしたりお酒飲んだり、その時は苦しい氣持ちなんだけど、今思い返すとあのコミュニケーションも思い出のひとつだなと羨ましく思ったりもするんですよね。笑
そもそも、私は誰かに何かを相談するということが少ない上に、こだわりも減って「まいっか」とすぐ流しちゃうようになってるから、小さな違和感とか不快な信号もサッと消し去っちゃうんですよね。我慢するという域にも入らないくらい手前でサッと消滅していくの。
鈍感力って言葉が流行りましたけど、鈍感が過ぎるとそれは自分の輪郭もボンヤリさせちゃうってなもんで、言ってみれば麻痺に近いのかもしれません。
長男長女は相手のことやその状況を受け入れることに慣れてるから、ついね、知らず知らずで想いが溜まってたりすることがあります。本人も氣づいてないことがほとんどだけどさ。
でも、それを言えると癒えますから。
ぜひね、どこかに放出してみてくださいな。特に不満もないけども?と思っていても、楽しい話でいいから誰かと会話してみてちょ。お互いに良い流れが生まれますよ。
老廃物は流そうって言うじゃないですか?想いも同じように古いものは流して常に循環しておくのが理想ですね。
話を聴いてもらえるという安心感も得られますしね。自分のことを全く知らない人に話すのも氣楽でいいでしょうし。なんにせよ、話すって佳きです。
よかったらトークルームなんかもご利用くださいまし。
ではでは!
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