どうも、谷口佳奈子です。語録というには何も集まってないのですが。
いつだったか、何の話だったか、もう忘れてしまったのだけど、夫がこんなことを言っていました。
恋愛って基本的に依存やもんな。
おぉい!その依存に悩んでみんな自爆してるんだぜ!そんな身も蓋も無い言い方…汗
でも、確かに、夫の言ってることはあながち間違いでもないな。私はある意味で夫に依存しているし、彼も私に依存しているのだと思う。
じゃ、依存と拗らせとの境い目ってなんだろうか?依存がいき過ぎて常に「あの人は私を大事に想ってくれてるんだろうか?」と不安ばかりに埋め尽くされるのはどういう状態なんだろう?逆に、今の私はそんな風に思わなくなったのはなぜだろう?
ひとつは、愛情表現を十分に感じ取れるということ。夫がちゃんと言葉にして表現してくれることは大きい。でも、受け取れるようになった私、もそこには存在してるんだよな。「本当に?」と確認する必要のない状態が作れている。
それとも関係するが、ふたつめは、他者からの承認で生きる必要が無くなったことだろう。私という存在はそもそも価値があり、それは他人を通じて確認するまでもない、という感覚。だから“受け取れる”ようになったのだ。
依存=よりどころ、と考えた時にこちらの根っこがしっかりしていて己でちゃんと養分を蓄えているならば、各々が自律して生きていて、共感できる場所として相手が存在している。だけども、しっかり根付いておらず常に養分が欠如しているとしたら、よりどころでは相手の養分を吸収することで生きながらえることになる。
俗にいうエネルギーバンパイアってやつか。他者からの承認を得ることでしか自分の存在価値が認められず、その相手がいないことは恐怖でしかない。だから極度の依存状態に陥る。
浮氣しないかどうか不安だから、なんて理由も突き詰めると「そんなことされる私には価値がない」に繋がっていくから。だけど元々は欠乏からきてるって誰も氣付かないよね。
こうなったら依存を楽しむしかないな!依存に振り回されてる場合じゃないぞ笑。依存をコントロールする側に回るんだ!←え?笑
楽しい依存は存在する。きっと我が家のように「自律しながら持ちつ持たれつ」みたいな関係がこれから増えていく。他人同士が仲良く暮らしている、のが結婚生活。奪い合っていては成り立たんのだよ。そこに生まれるエネルギーが大きくなっていかない。かけ合わせないと!
どうせ一緒にいるなら未来に向かって繁栄していく関係がいいよね。(子孫残すって意味じゃなくて笑)
夫がまた何か面白い発言をしたらここで発表しようと思います!笑
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