おはようございます。昨日のクリスマス、いかがお過ごしでしたか?
我が家は他の日となんら変わらず、夫の手料理を頂きました。あ、多少はクリスマスっぽさを出そうと、スパークリングワインと苺を買って帰りましたけど。
最近はお酒を飲む日を金・土に限定してて、他の曜日は食後にお茶をすすりながらお菓子を食べるという時間になってます。(すごい勢いでお菓子を食べてしまう笑)
なので、たまに飲むお酒が胃に重い!爆笑
加齢も影響しているのか、アルコールにめっぽう弱くなりました。酔うというよりは、アセトアルデヒドを分解できないという感じです。
さて。
唐突ですが、宗教にはそれぞれ様々なルールがあったりしますよね。そのほとんどが救いを求めて、幸せになりたくて行っているものでもあります。
ちょうど先日「イスラム教は1日5回のお祈りが義務付けられている」「毎日5回祈れば救われる」というのを聞いて、夫と「そんなので救われるって、逆に神様要らなくない?」みたいな話をしてたんですよ。
日本にもありますよね。法然は「南無阿弥陀仏」とひたすらに唱えれば救われるという教えの浄土宗を広めて、法然の弟子・親鸞は、たった一度でも仏を信じて念仏を唱えればよいと考え、浄土真宗を開いています。
なんだっていいんやん!笑
そんなルーティン的なことで救われるって、不思議じゃないですか?
でも、そのときに、毎日お祈りをしたり念仏を唱えたりするのって、夫婦間で「ありがとう」と言い合うことに似てるぁと思ったんですよね。
我が家はお互いに「ありがとう」と言う回数が多いです。
前にも書きましたが、再婚同士なので、些細なことも感謝の対象になるんですよ。「いや、まじ、ありがてぇ」みたいな。
それでも、最初の頃に比べて、多少はルーティン的ありがとうにもなっていくわけです。お礼を言うということを欠かさない、というのを守っているといいましょうか。
ただ、「ありがとう」と言葉に出したとき、【ありがたみ】を実感するんですよね。そして思い出すわけです。「あぁ、ありがたいことだな」と。
それって祈りに似てるなと思うんですよね。
もしかすると毎回「神様お願いします」って祈ってる人もいるのかもしれないけど、祈ることで神の存在を“思い出してる”んじゃないのかな。
夫婦間でのありがとうと、神への祈りって、どちらも【相手の存在やありがたみ】をその都度思い出す行為だなと私には思えます。
だからね、じゃんじゃん言うといいです。言霊ですしね。
ありがとう、と言うことで
ありがたみ、を思い出す。
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