罪悪感と羞恥心。

私は自分らしく生きることを止めているのは罪悪感だと思っていて、自分責めをすればするほど生きづらくなっていく。

罪悪感の中には、役に立てなくて申し訳ないとか、面倒をかけて申し訳ないとか、ちっとも成長できなくて申し訳ない、といった氣持ちが含まれているんだけど、それは裏を返せば“ガッカリされたくない”という感情を表していると思う。

つまり【羞恥心】恥をかきたくないということだ。

ちゃんとしていない自分なんて恥ずかしい(存在)、役に立てない自分は恥ずかしい、成長できない自分は恥、そんな羞恥心から罪悪感が生まれている。

ただ、羞恥心って年齢と共に減っていくなぁと身をもって感じているので、自然な流れでいけば加齢とともに罪悪感も減っていくのではないか?と思っている。それでも罪悪感を持ち続けている場合は【できない自分を受け入れる】しかない。

能力的に“できない”ことはもちろん、やればれきることでもやりたくない場合、頼まれたことに対して“できない”と断ることも大事。

罪悪感とは、できない自分への羞恥心であり、恥をかきたくないと自分を責め続けていれば生きづらいに決まっている。必死こいて誰かの役に立とうとし続けなきゃいけないし、その称賛でしか価値を感じられなくなるから。

罪悪感が羞恥心と繋がっているひとつの現象として、自分責めしやすい人の多くは写真に写ることを嫌う。他人から見てどう思われるかという不安が働くからだ。常に自分を他人目線でジャッジしているということ。

そもそも、何も恥ずかしくない。できない自分でも素晴らしい。そこがしっくりくれば罪悪感は消えてなくなる。

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