こんにちは。我が家にも届きましたよ、アベノマスク。届いても届かなくても文句言われてるから、あの時、マスク支給しますなんて言わなきゃよかったね、あべさん。
正義の押し付け
人は文句を言う生き物なのだろうか。それともそれは正義の主張なのだろうか。
今回の自粛期間に、自分の選択を肯定して欲しいがために、反対の選択をした人を否定するというシーンがよく見られましたね。結局のところ「どう思われるか」という不安が根底にあればこその行動だと思いますが。
私は、傍観するタイプなので、家族や友人と話すことはあっても、何かに対して否定も肯定も公にはしないんですよね。議論するほど否定の感情も湧いてこないという方が合っているかも笑。
日常生活での正義
とはいえ、自分の行動を生活の中の“常識”として、周りの人とも分かち合いたいという感覚は、どうしても湧きますよね。分かち合いたいって良さげにいったけど、強要したくなるってことだね笑。
「こうしてほしい」という氣持ちって、恋愛でも、結婚生活でも、きっと子育ての中にも湧いてくると思うんですよ。相手に対して。
それがさも“正義”かのように、納得してもらえるまで言い続けたり、わかってもらえなければ怒りとしてぶつけたり、相手をコントロールしようとしてません?
でも、その正義、万人には共通しませんから。
単なる感覚
正義って、単に“その人の感覚”であって、価値観です。だから、違って当たり前なのよね。
「靴下はちゃんと表にして洗濯機に入れてよ!」という些細なことも、その人の中での正義。
待ち合わせの時間は守るべき、というのも個人的正義。メールの返信は早くしてほしい、部屋は綺麗に片づけてほしい、将来に対する準備は万全にしておきたい、こんなところも各個人の正義です。
だからぶつかるんですよ。イラつくんですよ。自分の正義を押し付けたくなるんですよ。
提案はできても強制はできない
自分が正義だと信じている価値観は、他の誰かにとっては全くそうでは無いこともあります。
それを押し付けて強制することは不可能なんです。
その代わり、氣持ちを伝えたり、より居心地よく過ごすための提案として投げかけることは可能です。というか、それしかできない。
運良く、それが相手に伝わって理解されれば、同じ常識(正義)の中で生きていけるかもしれないってだけです。
そう思っておかないと、正義を押し付けて、受け入れられなかったら攻撃的になる、いかれた 恐ろしいオバちゃんになってしまう。
議論を交わすときには冷静に。くれぐれも言い負かすことをゴールにしないこと。
美しい正義を保ちましょ。
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