Facebookをやめて思うこと。

8月の終わり、「あ、やめよう」そう思って、何の前触れもなくFacebookのアカウントを削除した。

きっかけとなる出来事はあったとはいえ、もうずっと前から「やめたいなぁ」と長らく感じていたのだ。別に、すごく嫌で削除したいというわけでもなかったし、新しい自分を始めるのよ的な断捨離とも違っていた。

ただただ、めんどくさくなった。

じゃ、放置しておけばいいじゃない?見るだけだってできるわけだし。という意見もあるだろうし、実際にそうしている人もいる。

でも、そこは私の特性が絡んでいて、使わないものを持っておきたくない、という感覚と、ポイっとしたくなる衝動性が高まってしまった。笑

結果、どうかというと、何も変わらなかった。何の支障もきたさないし、不便でもなかった。

清々しい!という軽やかな感覚も、思ったほどは無く、あっさりとしたもんだ。苦笑

Facebookを使い始めた当時は、SNSが今ほど広がっておらず、情報を得る楽しみがあった。

そのうちに、仕事用発信ツールとして使うようになり、友達申請合戦に呑まれていった。友達の数が多い人がなんだか凄い人のように見え、そういう人の発信がどんなものか知ろうともした。

ある程度、浸透してくると、文章がフォーマット化され、知らない人の自撮りが毎日流れてくるようになった。情報は得るものではなく流れてくるものに変わった。

誰かの投稿を見ては焦ったり、自己アピールに必死になったり、もちろんそれを楽しんでもいたけれど、一部では人目を氣にする自分だっていた。

そんな時代も過ぎ、ここ数年で投稿数もぐんと減っていたし、目を通すことも少なくなっていた。繋がっている人とは直接やり取りしていて、Facebookを媒介にする必要がなくなっていた。

ただ「仕事をする上では使っている方がいいのでは」という想いは消えず、保留状態。たまに投稿するとやり取りが生まれたりして、やっぱり必要なのかなとも思ってみたり。

ある日、がっつりお仕事ツールにしている人が「いいねを押さないと、自分の投稿があまり表示されなくなる」と言っていた。

かつての私なら、そのアルゴリズムに従ってFacebookを活用していたかもしれないが、今となっては「じゃ、いいねって何がいいね?」みたいな氣持ちになってしまう。苦笑 だから“平等に”誰のにも押さないというルールを持ってみたりした。(天邪鬼)

もはやFacebookで伝えたいことがなくなってしまったし、情報を取りに行くという行動から離れてしまった。私にはこのブログやインスタなど、発信の場はFacebookの他にもあるから、ということも影響している。

さて、アカウントを削除しようとすると『利用停止という方法もありますよ?』と投げかけられる。完全削除したら復元できませんよ、いいですか?という念押しなんだけど、一瞬揺らいだ自分もいた。笑(連絡手段のメッセンジャーも使えなくなるからね)

でも、そこは突破するでしょ。やらなきゃ氣が済まないのが私ですから。ポチッと削除。

その直後、Facebookグループを使った魅力的なオンラインサロンのお誘いメールが届く。「えー、面白そうだけどー」「いや、でも、アカウント作り直してまで入るほどじゃないな」「そもそもグループで何かってのは苦手だったよな」こういうのが宇宙のお試しってやつかい?なんて思いながらやり過ごす。

数日して「あれ?Facebookやめたんですか?」という連絡がポツポツ入るようになった。なんとなく寂しいと思ってもらえるらしい。でも、その連絡が取れている時点で、その人とは繋がっているのだ。だから、ほら、Facebookなくても大丈夫じゃん?

Facebookをやめてみて思うのは、“ただ見ているだけの時間”が消えて軽くなったことへの喜びでしょうか。

あと、かなり主観的なことを言うと、SNSってオンライン上の人間関係なんだけど、それがパイプのように繋がっていると思ってるんです、私。そのパイプを色んな人のエネルギーが行き交っているイメージ。だから、ただ見ている時にも、エネルギーを消費(浪費?)していたり、勝手に流れ込んできたりしてる感覚が強くて。

やめてからは、エネルギー漏れと不要な流入がなくなった感じがしています。

別にFacebookやめるといいよってオススメもしませんが、SNS疲れを起こしているならやめるのもアリですよ。やめても大丈夫だよ、ってことは言えます。

ドキドキするなら、とりあえず利用停止でもいいしさ。笑 やってみそ。

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