こんにちは。自粛やら連休やらで、曜日感覚がすっかりなくなってしまった私です。家で仕事ができるのは、便利でもあり、オンオフの境目がなくなって休んだ氣がしないという難点もありますよね。
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さて、前回の記事に、“私の中での愛の定義が、ちょっと一般的じゃないので、嫉妬は愛ではなく執着だと分類してしまっている”と書きました。それについて書いてみようかと。
愛とは何か?
ちなみに、皆さんにとって、愛とは何ですか?
親から愛情をもらえなかったとか、愛して欲しいとか、愛してると言ってとか。愛って何だろう?ジャロってなんじゃろ?(古い)
世間では、愛が深いとか、とても愛されている、といったように、愛には量があるという価値感が一般的です。
愛は常に一定
でもね、量ではかるから「愛が足りない」という感覚を生んでるんだと、私は思っています。そしてそれを理由に「あの人は私のことを好きじゃないんだわ」と疑うんです。
好き嫌いと愛は、無関係です。←はい、そろそろ意味不明になってきたよ笑
愛はアップダウンするものではなく、常に一定であり【ただそこに在るもの】。これが私の中での愛の定義です。愛は不動であり、誰にも存在しています。
求めているのは愛情表現
では、「愛してほしい」という感覚はどうして湧くのか?多くの女性は、男性から愛されたいと願っていますよね。私もそうだったなぁ。
私が思うに、愛してほしい=“愛していることを示してほしい”ということです。つまり求めているのは、愛情表現。それは言葉だったり態度だったり、人それぞれ求めるレベルも違います。
結局、確認したいんですよね。逆に、「愛してる」というときは、伝えたいとき。
愛とは受け入れること
「私は、嫌いな人でも愛しています」
こう言うと、ほとんどの人がポカーンとします。笑
上にも書きましたが、私にとっては、その人のことを好きか嫌いかという感情と、愛しているかどうかは別の話で、どんな人も愛している状態にいます。
ただ、感情の上では嫌いな人なので、愛情表現をしないってこと。←はい、ややこしい
でも愛してるんです。愛するってことは【その人の価値を認めている】ということだから。誰しもに価値があるので、誰もみな愛しているということになります。その人の存在を、ただありのままに受け入れているだけ。私とは合わなくてもね。
共にあろうとする
私の中で愛してるという状態は「共にあろう」としていることです。同じ地球上で、共に存在しましょうね、ってこと。
本当は人と人との境界線なんてないんです。だから、愛してる人がいて愛していない人がいる、って状況では無くて、みんな愛し愛されている状態なんだにょ。
この感覚あまり伝わらないかもしれないけど。笑
相手を認め尊重する、これが私の“愛してる”です。