男に溺れたと言われた日。

おはようございます。朝が明るくなるのが早まりましたね。今日もベッドの上でこれを書いています。たまには音楽を流しながら作業してみようとAmazon Music から適当にかけたら、これが流れてました。懐かしい。若かりし頃の想い出が蘇ります。

Maroon5が流行ってたのがはOLの頃でした。20代後半。離婚直後かな。別居したくて(というか、もう一人暮らしがしたくて)探した家は、周りにマンションが隣接してて、日が差し込まない部屋でした。

その頃の恋愛は楽しかったけどいつも不安で、私を軽く扱われて、それでもしがみついていたような感じ。今の私だったら惹かれない相手かもしれないけど、魅力的な男性でした。魅力的?いや刺激的?笑

私は鉄ほど重い女。そんな自分に酔ってたんだと思います。わざとドラマチックな人生に仕立てているように見える。たかだか離婚しただけなのに。被害者ぶってた。そうすることで視線を集めたかったのかもしれない。

なんせ、承認欲求が強かった。承認されないと自分の居場所がないと思ってた。

遡ること10年。大学生になった頃、初めての彼氏ができた。同郷の年下くんで、普段は遠距離、帰省時に逢えた。とはいえ、会うには電車で30分近くかかる距離。休みのほとんどを外出していた。親は呆れていた。

下宿先に戻って、実家から送られてきた荷物と一緒に父からの手紙が入っていた。そこにはこんなことが書かれていた。

「お母さんが、“佳奈が男に溺れた”と言っていましたよ」

やだ、うそ、何ソレ。私、男に溺れたように見えてたんだ。確かに間違ってないか。男にというより、恋愛に溺れていたよね。だって、楽しいし一緒にいたいし。手放しで求めてもらえるし。「求められたい」という欲求が恋愛に溺れさせたんだろう。

私の存在を必要としてもらえる、という感覚は、承認欲求の強かった私には格好のエネルギーだった。そういう恋愛がいくつか経験したように思う。

彼氏と一緒にいたいという価値感はずっと変わらず、それは今の結婚でも同じ。ずっと夫と一緒でも楽しい。むしろ色んなことを“一緒に”経験したいタイプ。あれ?今も溺れているのか?笑

昔と違うのは、いつでも私を見てほしい、と思わなくなったことだな。お互いを尊重するということができる。一緒にいる意味も違う。かつては相手の動向を知っておきたくて、自分から離れてほしくなくて、一緒にいたのかもしれない。

私と一緒にいるときは、他の誰かと一緒にいないとき。

なんて寂しい恋愛だったんだろうか。そりゃ相手も苦しくなるよね。自由でいさせてほしいよね。逆に私も束縛されかけてたことがあるけど、ほっといてと思ったもんね。人って勝手だね。笑

承認欲求と依存って同時進行するのかもしれないなぁ。ちょっと深掘りしてみよう。

ちょうど今日“依存”について話したところ。よかったら聴いてみてね。

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