名前の由来。

この記事は、今から6年ほど前にメルマガで配信したことのある内容をリライトして載せています。私の名前と、かつてよく湧いていた無価値感についての話です。

夫と暮らすため千葉に引っ越してすぐ、友人に誘われて心屋仁之介さんのライブを観に行ったことがあります。

トークの中で魔法の言葉を順番に言っていくコーナーがありました。
仁之介さんが発した言葉を続いて皆で復唱していくんですが、人それぞれすんなり言える言葉と、突っかかってしまう言葉があるんです。

発音として突っかかるのではなく、心が引っかかるワード。
私の場合、それは「生まれてきてくれてありがとう」でした。

これを言おうとすると、胸がグッと詰まって言葉にならない。涙が出そうになるのを堪えるほどでした。

どうしてか?

心当たりがありました。幼い私が、胸に抱えていた「ここに居ていいんだろうか」という不安です。

それは私の名前に纏わるエピソード。

小学生の頃「名前の由来を親に聞いてくる」っていう宿題がありました。
私の名前は、佳奈子(かなこ)です。

由来を尋ねた私に、母はこう言いました。
「樋口可南子みたいに、美人で聡明であって欲しくてつけたんよ」
ふむふむ、なるほど。
美人で聡明か~、なんか嬉しい!

一方で、いつ聞いたのかわからないけれど、ふんわり別の記憶も頭の片隅に残っていました。
「佳奈の名前はおじいちゃんがつけたんよ」


あれ?
どっちだ?
うーん、そっかー、おじいちゃんがつけたのかー。
でもなんでだろう?

ハッキリとしたことは分からないまま時は過ぎ、5つ年下の妹にも同じ宿題が廻ってきました。
妹は真希子(まきこ)
母からの答えはこうだったんです。

「ほんとうに(真)、のぞまれた(希)、子」

そのとき私は、愕然としました。
私の名前は両親じゃなくおじいちゃんがつけて、妹は本当に待ち望んでた子なんだ、って。
そんなことがあり、余計に聞きづらくなった曖昧な疑問をちゃんと解消できないまま時が過ぎ、大人になっても確かめられませんでした。

だからといって、両親から愛されてないと思ったこともないし、妹のことも大好きだし、私は私でいいんだと思っていました。
ただ、妹は甘え上手で、私は甘え下手なだけなのに、両親が妹に過保護なことに拗ねたりしたことはありました。

そういうときに、やっぱり「本当に望まれた子」との格差を感じたりもしていました。もちろん勝手な妄想ですが。だから30代後半で、その疑問をちゃんと確かめてみようと思って、母に尋ねることにしました。心の靄を晴らしたかったんです。

名前の由来への疑問と、妹の名前と比べて拗ねちゃってたんだ、という私の気持ちも併せて伝えました。

事の真相は、私が生まれた時に、父親が両親へ気を遣って孫の名前を付けさせてあげようと思ったことから始まっています。そのことに母は反対していたそうですが、この計画は遂行されました。

そこで、おじいちゃんは6つ名前を用意しました。

当時、母が観ていた「こおろぎ橋」というドラマの主演が樋口可南子で、芯の強い逆境に立ち向かう姿が好きだったため、6つの候補の中に「かなこ」が入っていてそれを選んだとのことです。

加えて言うと、おばあちゃんは辛辣なことサラッという人で(笑)、「自分の子の名前を親に付けさせるなんて」という態度だったそうで、そのことに母親はカチンときて、次は絶対に自分たちで付けると決めていたと聞きました。それが妹の名づけに繋がります。

その後、私と妹との間に2人流産してしまっていて、妹のときもちょっと危なかったから「絶対に生まれてきてほしい」という願いを込めて真希子になったんだということを話してくれました。

なんかね、母らしいし、そして父らしい。
すべて、それぞれの思いやりの気持ちが少しずつ掛け違ったんでしょうね。
2人の思いやりの結果が「佳奈子」になったんだな、って。

ちゃんと確かめてよかったなって思いました。
ようやく、自分という存在価値を知ることができた気がします。
なんとなくどこかで、私あんまり居なくてもよかったんじゃないのかなぁ、とすぐにこじつける癖がついてましたから。

だからね、「生まれてきてくれてありがとう」って言えなかったんです。
両親からそう言ってもらえなかったら怖いから、名前のこともずっと確かめられなかったのかもしれません。

そして、この話は夫にもしています。付き合ってすぐの頃に。
そしたら、翌日「名前の漢字の意味調べたよー」って連絡くれて。
要約すると、どうしてこんなに素敵な子なんだろう、みたいなことだったかな。←ちょっと忘れた。笑

もう、それだけで十分ですよね。
ありがたかったし、すごく救われました。
そして素直に両親への感謝も湧きました。


祖母も名前を考えてくれた祖父も亡くなりましたが、ある意味で繋がりが今も存在しているようで嬉しいです。

今となってはそんな風に思える自分の名前に、ありがとう。


これを初めてリライトしたとき(今より数年前)、こんなことを書いていました。

この記事は3年くらい前に書いたものをリライトしました。当時とはまた感じ方も変わっています。書いた頃は、これを書きながら泣いてましたから。笑
小さなことにこだわっていたなとも思いますし、勇気を出して確かめたからこそ“小さなこと”と言えるようになったんだとも思っています。
なんにせよ、今ここに存在していることが幸せだな。

人って忘れていくから生きていけるんだなと思うし、忘れられない何か心のしこりみたいなものは、自分で打ち砕くこともできます。自分らしく生きることや、自分を認めること、自分を変えること、すべてに共通しているのは【勇氣】です。

「勇氣があれば何でもできるぅ~!」とはよく言ったもので、本当にそれに尽きますね。

勇氣、出していきましょ♪
いーちにーぃさーん、ダァ~!笑

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