子供を持たないという決断について。

以前こういった記事を書いた。

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私の周りには3人、4人と子供がいるママもいるし、妹含め親戚一同もみな子供を育てている。もちろん子供のいない夫婦もいて、その理由は聞いたことはないが皆それぞれに自分たちの人生を楽しんでいる。

お客様の中にはまだ20代の若い方もいらっしゃって、子供を持つ自分が想像できないという相談とも言えぬ心の声を聞くこともある。なんとなく怖い、そうだ。なるほど何かわかる氣もする。だけれど、40歳目前の私が子供を持たないと決めることと、まだ若い人たちが同じように決断することには大きく差があると思う。

後悔しないだろうか、決断してもいいものか、でも産むなら早い方がいいと言われているし、後になってほしくなったらもっと早く決めていればと思うかもしれない、という迷い。

私がひとつ思うことは、“子供を諦める”ことと“子供を持たないと決める”ことは、欲しくて諦める方が不本意かもしれないけれど、可能性を秘めたまま自らそれを放棄するということの方が「恐怖」を伴う。選択への責任が生じるからだ。誰のせいにもできないから。

子供が欲しい、と迷いなく言えない場合、不妊など何らかの外的要因があれば諦めることができる。それは選択ではなく、宿命ともいえる用意された答えだと、ある種の言い訳ができるから。

私は過去に結婚も離婚も再婚も経験してきて、あとは出産・子育てでコンプリートだな、なんて考えていた時期があった。子供が欲しいというよりは子育てを経験してみたいという理由が強かった。これは今でもあって、つわりに苦しむ友人を横目に「私もその経験してみたい」なんて思っていたりする。

けれど、決めたのだ。決断が含んでいる恐怖もピースがかちりとハマらない不完全さも全部請け負うと。 どちらも同時に手に入れることはできない。パラレルワールドは同時に体験できない。このまま二人暮らしを続けることも、コンプリートしない人生も私にとっては乙であり、なんだか私らしいなと思う。

もし迷っている方がいらっしゃれば、とことんまで迷うのも良し、あえて決めないのも良し、諦められる材料を見つけるのも良し、なんだってあなたらしさということだと伝えたい。

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